■2番いきます!
振り返る度 未熟さにむず痒くなるけど
定規で書いたような将来の雛形を知らぬ強さに
なぜだか僕らは不可思議に救われたりする
自分の過去を振り返った時、その当時かっこいいと思っていた服装だったり、可愛いと思っていたメイクだったり、良いと思ってやっていた好きな人に対しての行動だったり、
そういう過去に恥ずかしくなる時ってありませんか?
“勘違い”とか”思っていたのと違う”と言い換えることのできる“思い違い”。
そんな自分の過去を振り返るたびに未熟だなぁとむず痒くなるのがこのAメロ。
誰しもが陥ったことのある感情ですね。
“定規で書いたような将来の雛形”というところですが、
“型にはめられた、道も決まっている真っ直ぐな人生”と考えてみました。
雛形は英語で言い換えるとsampleとかmodelとかって言えるそうです(調べた)。
定規で書いた真っ直ぐな線のように決められた道、
形式的で誰かの見本や手本のような将来、
主人公はそんなもの知らないからこそ強くあれる。
また、そんな自分自身に救われます。
誰しも若い時に、何も知らない強さって持ち合わせている気がします。
例えばちょっと尖っている時期だったり、何にでもなれる気がする自分って、いませんでしたか?
声ですぐに分かったよ ずっとここに居たんだろう?
君が僕に歌い継いだ いつかのララルラ
胸ポケットで密かに呼吸をしている夢ならば
必ず僕がちゃんと叶えておくよ 堅い誓いを今立てよう
ここで言う“誰か”や“君”とは誰のことを指しているのでしょうか?
夢を持っていて、でも今の生活のままではなんとなくダメそうな、そんなもどかしい気持ちを持った、
自分と同じような人のことを。
また、そう言う気持ちだった過去の自分自身のことではないでしょうか。
“君が僕に歌い継いだ いつかのララルラ”
という一見何もなさそうな歌詞。
でも僕は、まさか藤原さんが意味もなくララルラという歌詞をつけるはずないとどうしても思ってしまい、じっくり考えてみました。
まず“はなうた”と“ララルラ”で母音を踏んでるのは言うまでもありません。
でも、ただ”アアウア”という韻を踏むだけでララルラを当ててくるのでしょうか・・・
僕なりに考えたのですが、
これは、髭男として高い目標を掲げていた過去の自分が作ったメロディを表すのではないかと考えました。
メジャーデビューなのか、テレビに出ることなのか、はたまた別の目標があったのかわかりませんが、
バンドとしてまだまだ小さかった頃に作り続けた楽曲を”鼻歌=ララルラ”として取り入れたのではないでしょうか。
胸ポケットほどの小さなスペースに収まってしまうくらい、強気になれない小さな夢。
今を生きる主人公は、率先して未来で叶えることを約束します。
どんな未来のアスファルト踏みしめていくんだろう?
靴底を擦り減らして ドアの向こう側
まだ遠くて 不確かで ぼやけてる理想像も
追い越すような軌跡を描いていけるよ
1番のサビとほとんど同じ歌詞のラスサビ。
最後が“描いていけるよ”と変わっています。
“描いてみせるよ”から“描いていけるよ”に変わったことで、なんとなく夢を叶えることを確信したのではないでしょうか。
同じ歌詞を2回言うことは大抵の場合意味があり、強調したいという作者の思いがあると考えます。
したがって、改めてサビの歌詞について考えてみました。
パラボラの意味を純粋に調べると、放物線と出てきます。
放物線を努力やモチベーションと考えた時、
時間に対して結果がすぐに実る場合、放物線にはならないと考えます。
この楽曲、特にサビの“軌跡”というワードからも、努力やモチベーションが最初は高かったものの、時間が経つにつれてやる気が出なくなったり、自信がなくなったりすることもある。
でも、続けることでぼやけている理想像を放物線が追い越すという、深い意味があるのではないでしょうか。
どっかの僕が迷わないように
眩い光放ってみせるよ いつかきっと いつかきっと
未来を生きる主人公自信が、目標を見失ってしまわないよう、今を生きる主人公は前向きに進みます。
■曲名にここまで深い意味が・・・
いかがだったでしょうか?
パラボラと聞いて、ジャケットの通りパラボラアンテナを想像した人も多かったと思いますが、個人的見解ではありますが、まさかこんなに深い意味があるとは・・・
ふわふわとしている主人公の感情が、ふわっとしたシンセサイザーで表現されているように感じます。
明るい曲調に聴こえてどこか寂しげな感情を覚える楽曲。
コロナという時期も重なり、人々の心が疲弊しきっている現代。
そんな僕たちにすごく刺さるメッセージ性のある楽曲でした!
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