【Mrs. GREEN APPLE/soranji】soranjiって何??

■映画とリンクした、ストリングスが素敵な楽曲

先日発売したMrs. GREEN APPLEの”soranji”を考察していきます!

ミセスの活動休止後初のシングルということで、3年半ぶりのシングル発表だったそうです。

楽曲は映画『ラーゲリより愛を込めて』の主題歌!

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この映画は第二次世界大戦終戦後、日本人がシベリアの強制収容所に抑留され、捕虜となった人々の物語です。

絶望の状況の中、日本で待つ家族に再び会うことに希望を持ち、自分自身も捕虜でありながら周りの人々に生きる希望を与える主人公の姿が描かれています。

生きることや、生きたいという気持ちを謳っています。

楽曲を考察するにあたり、映画のことも調べていたのですがとても見たくなってしまいました。

ところで、この楽曲の歌詞には、ところどころ句読点が使われています。

映画の原作は『収容所(ラーゲリ)から来た遺書』という物語らしく、様々な楽曲で色々な意味で句読点が使われていますが、この楽曲に関しては、手紙の文言には句読点がついているのではないかと、考えました。

私は原作も読んでいないので憶測に過ぎませんが、その辺りも確認しながら、考えてみましょう!

■愛する家族に絶対に会いたい

貴方に会いたくて
生まれてきたんだよ
今、伝えたいんだよ
私はただ
私はまだ・・・

綺麗なストリングスと共に始まるこのシーン。

この楽曲全体を通して、映画の主人公である山本幡男の目線で描かれているのではないかと、考えました。

山本は冒頭にも紹介した通り、捕虜として日本を離れます。

ここの歌詞は、日本で待つ家族に向けての想いではないかと想像しました。

山本の周りにいる仲間の捕虜はとても希望を持っているような状況ではありません。

でも、それでも私は希望を捨てていない。

日本に帰って、愛する家族に会うことを捨てていないことが、ここの歌詞からわかります。

“ただ”“まだ”の続きには、一体でどんな言葉があるのでしょうか・・・

はじまりの朝が来る
宝物を探すけど
いつの間にか すぐそばにある事を
忘れて今日も浮かんでます

今日も昨日までの毎日と同じように朝が来ます。

何か特別な出来事や、特別なものを探してしまうけど、結局1番近くにあるものが1番大切なことだったりしますよね。

映画の話にもリンクしていますが、何かと私たちの実生活にもリンクするような歌詞ではないでしょうか。

思い出は歩いてきた証だと
この傷が教えてくれる
当たり前に進んでゆく皆んなに
ついて行こうと頑張っています

“思い出は歩いてきた証だとこの傷が教えてくれる”

とってもいい歌詞ですね。

体の傷や心の傷、苦い思い出、人によって様々な思い出したくない過去があります。

でもそれは、生きてきた証ということを、ここの歌詞が教えてくれます。

ここで言う、

“当たり前に進んでゆく皆んな”は、

山本にとって家族のことでしょうか。

自分がいなくても毎日が過ぎていく。日本で暮らしている日常。

山本は家族に会うために、希望を捨てません。

汚れながら泳ぐ生の中で
まあ よくぞここまで大事にして
抱えて来れましたね

山本が、日本で待つ家族に対して放った言葉ではないでしょうか。

自分のいるラーゲリも相当な環境ではありますが、4人の子供を1人で育ている妻や、父親がいない家庭環境の中で成長していく大事な子供たち。

そんな、普通ではない状況の中、今日まで生きてくれてありがとう。

そんな想いが込められているのではないかと、考えました。

まだ消えちゃいないよ
ちっちゃな希望を
何とか信じて、
信じて欲しい。

裏切りが続こうが
「大切」が壊れようと
何とか生きて、
生きて欲しい。

映画の公式サイトには

“あまりにも残酷な日々に誰もが絶望する状況下”

という文言がありました。

ここの歌詞は、そんな絶望の中でも、家族に会うという希望は消えていないという山本の強い想いだと考えられます。

日本で待つ家族に対して、

“何とか信じて、信じて欲しい。”

“何とか生きて、生きて欲しい。”

と語りかけています。

この2つの歌詞は、手紙の一部にも感じられます。

有り得ない程に
キリがない本当に
無駄がない程に
我らは尊い。

はやく日本に帰りたいと言う山本の気持ちが表れています。

音楽的にも、語尾で韻を踏んでいることから、強く訴えかけている様子が伺えます。

どんな状況であれ、“我らは尊い”ということを、訴えています。

■終わりの見えないラーゲリの生活

寂しさの甲斐は無い
雪もいつかは溶けるけど、
鳥の群れは明日へと飛び立つが
私は今日も小さくなってます

努力の甲斐があった。なんて言葉をよく耳にしますが、“寂しさの甲斐は無い”というと、どのように考えるべきでしょうか。

僕は、”寂しかったけど何にも報われない”というような解釈をしました。

雪はいつか溶けるし、鳥は遠くへ飛び立つ。

時間は絶対に流れているのに、山本は今日も昨日と同じこのラーゲリで、苦痛な日々を過ごしていることが描かれています。

雪がいつか溶けて春が来るように、山本自身も、いつか自分に春が訪れることを期待していたのでしょう。

またあらすじに、山本は凍っていた仲間の心を溶かすという内容がありました。

その文言にもリンクしているなと、感じました。

ゆらり揺れながら
産声が聞こえる
繰り返してる春
大事にして語り継いでくれましたか?

ふと聞こえてくる何かの産声。

日本にいる我が子の産声でしょうか。

そして、“繰り返してる春”というのは、自分が日本に帰って、今とは大きく違う生活をしたときの想像でしょうか。

“大事にして語り継いでくれましたか?”というフレーズから、誰かに問いかけている様子が伺えます。

もしかしたら、先に日本に帰った仲間の捕虜に対してかもしれません。

まだ伝えてないよ
今日の分の「大好き」を
未来でも変わらず届けられますように

この世が終わるその日に
明日の予定を立てよう
そうやって生きて、
生きてみよう。

日本にいたとき、山本は毎日愛の言葉を伝えていたのでしょうか。

映画のあらすじにも書かれていますが、山本はラーゲリで過ごしているうちに、病気により余命3ヶ月を宣告されてしまいます。

日本に帰ることを諦めずにここまでやってきた中での余命宣告。

いつか帰る日本で「大好き」を伝えたいという願いが込められています。

毎日過酷な労働。毎日死にそうな思いで過ごしていて、明日が見えなくなっているのでしょう。

そんな状況を比喩したのがこの、

“この世が終わるその日に明日の予定を立てよう”

という歌詞。素敵な表現ですね・・・

有り得ない程に
キリがない本当に
無駄がない程に
我らは尊い。

踏み締める大地に
重なるはアイロニー
有り得ない程に
キリがない本当に。

山本の想いがここでも強く描かれています。

アイロニーとは”皮肉”と訳され、

“表面的な立ち振る舞いで本質を隠すこと”と出てきます。

まず、文章の意味を崩さずにアイロニーで韻を踏む語彙力を尊敬します。笑

余命宣告をされた山本は、仲間に促されて日本で待つ家族に手紙を書きます。

しかし、ラーゲリでは手紙はスパイ行為とみなされ、没収されてしまうそうです。

仲間たちで表面上は何も無いかのように振る舞い、どうにかこの手紙の想いを日本で待つ山本の家族に届けたいという強い意志と、考えました。

まだ消しちゃいけないよ
ちっちゃな希望を
迷わず信じて、
信じて欲しい。

暗闇が続こうと
貴方を探していたい
だから生きて、
生きてて欲しい。

この楽曲のPVでは、この場面でボーカルの大森さんが宙を舞います。

これは山本の死を意味するのではないか考えました。

楽曲は転調して、クライマックスを迎えます。

山本は自らの死が近いことを察しているのでしょう。

もうほぼ不可能と思えるような自身の病状の中、どれだけ小さい希望だったとしても、最期の最期まで家族に会うことを諦めません。

ここでいう暗闇は死後の世界のことでしょうか。

それとも、この閉鎖的空間の現状でしょうか。

どれだけ遠くに離れていて、閉鎖的な空間の中にいても、貴方を探し続けるという強い意志が感じられます。

自分が死んでしまっても、どうか、大切な家族達は頑張って生きてほしいという願いが感じられます。

有り得ない程に
キリがない本当に
めくるめく世界に
膝を抱えていたり

誰しも何処かに
弱さがある様に
無駄がない程に
我らは尊い。

先の見えない毎日に膝を抱えて弱さを出してしまう時もある。

いつも希望を持っている山本もそういう時があることを描いています。

大森さんの“我らは尊い”の歌い方が、曲が進むにつれて変化があることに気づきましたでしょうか??

最期のこの部分はすごく力強く歌っています。

■タイトル”soranji”の意味って・・・?

諳んじる(そらんじる)という言葉からきているのではないかと考えます。

意味は”書物などを見ないで暗記すること”と出てきます。

前述したように、山本の手紙は没収されてしまいます。

でも、仲間達は、手紙の内容を覚えて山本の家族の元に届けようとしたのではないでしょうか。

仲間に希望を与えながらも余命を宣告されてしまう山本。

家族に会うことができずにラーゲリで亡くなってしまうとすれば、”soranji”をこのように考えることができます。

この楽曲と映画はとてもリンクしていて、ミセスらしい形で生きるということに寄り添ってくれました。

僕も映画が公開したら、見に行きたいと思います!

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