■映画「スクロール」の主題歌
Saucy Dogの新曲”怪物たちよ”を考察していきます!
この楽曲は映画「スクロール」の主題歌として書き下ろされました。
怪物とは何を指しているのか、その辺りを考えながら、楽曲について考えていきましょう。

■怪物を遠目から見下すような歌詞に注目
なんて素晴らしくって退屈な日々なんだ!
穏やかな夜に乾杯
しけたツラした僕にジャスハイ
幸せの価値観なんて人によって違うもんなのさ
定規で測れるような生き方はひとつもない
僕らの明るい未来に乾杯
もう嫌いなやつらはバイバイ
怪物とは何を指しているのか。
結論から言うと、現代のSNS社会において、ネット上で人のことを傷つけている人のことを指していると考えられます。
人のことを傷つけながら生きている情けない人々に対して、“だらしのない生活”や“素晴らしくって退屈な日々”などと言うワードで罵ります。
“幸せの価値観なんて人によって違うもんなのさ”という歌詞の通り、幸せは人によって決められるものではありません。
しかし、現代のネット社会においては、人の幸せを否定する人が一定数存在します。
“嫌いなやつら”は相手にせず、生きていこうというメッセージが歌われています。
忘れる為また飲んで後悔を繰り返す
“誹謗”と書いて声と歌っています。
もしかするとこれは、ボーカルの石原さん自身の体験が入っているのかもしれません。
たくさんの応援コメントの中にある1つの誹謗中傷。
これを忘れるために酒を飲み、そして、何の意味があるんだ・・・ときっと後悔するのでしょう。
人間というものはそんな簡単な生き物ではなく、中々誹謗中傷に目を向けないで生きることは、難しものです。
夢の中で号き疲れて壊れてしまいそう
全てが黒く見えてしまうけど
麻ロープで首を括り手にする自由よりも
僕らはきっと強くなれるはず
こんな世界でもまだ
ネット社会にいる誹謗中傷をしてくる誰か。
それはもちろん顔も名前も知らない誰かです。
そんな奴らに怯えてしまうこと自体が、精神的に壊れてしまいそうだと、歌っています。
そんな状況は“全てが黒く見えてしまう”のですが、自殺をして死んで得る自由よりも、この世界で生きている方がよいということを謳っています。
絶望的な状況でも、生きることを忘れないでほしい。そんなメッセージを感じることができます。
出来ることといえばせいぜい陰口くらいだもんな
可哀想な君に乾杯
もうそのままでいいよララバイ
1番に引き続き、怪物を蔑むような表現の歌詞。
“可哀想な君”と、誹謗中傷を繰り返す怪物に対して乾杯をします。
誰も幸せになれない気がすんだ。もう気が済んだ?
怪物達にたいして、問いかけます。
石原さん、そして主人公は、“気に入らない事を取り上げて叩いてみたり”する人のことが理解できません。
やめたらいいのに・・・という気持ちが伝わってきます。
当たり前に人は死ぬぞ分かってて言ってんの?
そんなやつらに耳を貸さなくていい
「だから何?」と微笑ってやれ
遇らってしまえばいい
2番のサビです。
“言葉はピストル”
たった一言の呟きで、人は簡単に死んでしまうということがわかります。
そんな誹謗中傷をする怪物たちには“耳を貸さなくていい”。
笑って遇らってやりすごそう。と、伝えます。
関わらないでくれよ
雑音に怯えながら生きる事は難しい
誰かの所為にしたい
でも全部自分の決めた道ならば
悩みながら生きることも素晴らしい
誹謗中傷に耐えながら生活することは難しく、
“嫌いで良いからもう関わらないでくれよ”という本音が出ます。
悩みながら生きることは決して簡単なことではないですが、
自分で決めた生きるという道を、頑張ってやり遂げようというエールが、歌われています。
世界なんて変えてしまえ心まで渡さないで
嵐の中に星を探すような
生きている意味を超えていく日々
枯らさないで
「これが僕だ」って自信がなくたって
らしさなんてきっと死ぬまで判らないもんなのさ
「それが僕だ」って答えはなくたって
悩め、生きて。怪物達よ
自分自身の考えを胸を張って表現することができない世界はおかしい。
その通りです。
生きている意味なんてわからない人が多いのが事実です。
でも、枯らさない→死なないとも取れる歌詞から、今現在辛い状況にいる人に対して、死ぬなとエールを送っていることがわかります。

■現代を生きる人々が考え直すことができるように書かれた歌詞
SNS社会において深刻となっている誹謗中傷問題。
何か事件が起きて、人の命が失われてしまってもなお、誹謗中傷という心無い声や呟きがなくなることはありません。
自分の家族や愛する人が同じ目にあってしまったらどういう気持ちになるのか。
そういう風に考えて、誰しもなりうる加害者になることがないよう、現代社会を生きていきましょう。

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